「幽霊といっしょ 死者と共に生きる」@浜離宮朝日ホール・小ホール

主催が「『落語の中の浄土真宗』実行委員」で毎年1回開催されているらしい。
今回の噺家さんが柳家喬太郎ということで出かけた。
往復はがきを出したのはもう何か月も前でほぼ忘れていたが、開演18時というのも忘れていた。
普通の勤め人なら行けないじゃん、と思うが、喬太郎も同じことをマクラで言っていたらしい。
らしい、と云うのは当然間に合わなかったからで、ちょっとした技を駆使しても到着は開演30分を過ぎていた。
慌てて到着したのにホールに入れてくれない。ロビーの不鮮明なテレビを見ていろと言う。頭にきながら声は確かに喬太郎だが映像は金屏風の前でもやもやと人影が動く宗教画の如きテレビを眺める。
この会場、久方ぶりだが成る程入口が横にしかないのだ。こりゃ途中で入れにくいし、入りにくいわ。
休憩時間はさんで喬太郎の「孫帰る」を楽しむ。達者だし、入れ込む話が全て面白い。あ、そうそう不鮮明なのは「へっつい幽霊」だったから両方共に幽霊の話し。
面白かったが落語はこの一席を聴いただけだよ。もう覆水盆に返らずだ。



大休憩後に釈徹宗先生と南條了瑛さんの対談。
南條さんはとてもお若く、調べると築地本願寺塔頭法重寺の副住職さんでよく法話をされている方。しかし、世間のことには通じておられぬ様子で丁半博打とは何かなど落語を聴くうえでは基礎知識のような質問をいくつもされて変に面白かった。そのかわり、話しは深まらなかった感がある。
聴いていて残っていることばのいくつかを並べると、



・通夜で博打をする風習は各国にある
浄土真宗ではどうやら幽霊を認めていない(少なくともその修行を重ねたものには体感しがたい)
・どのような文明でも死者あっての世界
・京都南座のある場所は昔出雲阿国が歌舞伎をはじめた場所だが、鳥辺山と市街地の羽境地であった。そういうところに文化は興る
・死者との距離の取り方。死んだから死者ではなく、葬儀をして死者となる。



その他もあったかも知れないが記憶しているのはこれぐらいかな。
昨年は笑福亭三喬さんが出演されたそうで、おそらく来年もあるようだが、来年は・・・だね。