伊藤純・橋爪節也・船越幹央・八木滋共著「大阪の橋ものがたり」


大阪の橋ものがたり

大阪の橋ものがたり


東京で買い求めた本ですが、なんとも郷愁を書きたてるではないですか!!

大阪八百八橋にちなんだものでしょうか八十八の橋を取上げています。見開き2ページでひとつの橋が語られているのですが、そこに掲載された写真や絵図がなんともええのです。
今現在の写真ではなく、昭和初期や大正の絵葉書や本に掲載された写真や佐伯祐三肥後橋)や小出楢重(戎橋・信濃橋)の絵、それに江戸時代の摂津名所図会等の図版と眺めていても飽きないものばかりですよ。
大江橋はコンペで惜しくも二等になった方の、威風堂々とした橋の絵が掲載されていますし、大正橋は戦前の下を船が行きかう絵葉書です。摂津名所図会の高麗橋もイキイキと働く人々が活写されていて眺めていて飽きないですね・・・。


また装丁が凝っております。カバーの後ろにはカモメの大写しがあるのですが、本文では表題の上にレ点かと思うようにカモメが飛んでいます。パラパラ漫画になっているんですね。カバーを外すと、そこには鋼鉄の橋のクローズアップがあり、見返しには大きな港大橋の版画(前田藤四郎作)、後ろの見返しには「永大浜」の石版画(織田一磨作 1917)と共に本文で説明されている絵が隠れているのでした。
扉は魚眼レンズで撮影したような在りし日の「四ツ橋」ですしねえ・・・

最近の大阪散歩で目にした橋(たとえば「末吉橋」「安堂寺橋」)もあれば、学生時代に校舎の窓から遠望していた「港大橋」のような橋もあります。
働き出してからは、用事でよく出掛けた太平橋や難波橋(通称ライオン橋)、エビフライ定食がおいしかった洋食屋さんの名前に残っていた「白髪橋」・・・やはり多くの思い出が橋と共にありますなあ。

その中で、2つばかり写真を紹介します。先週の大阪散歩(なんば→淀屋橋の時のものです)




 

一つ目は、道頓堀川に架かる太左衛門橋。 最近、タクシーが暴走する事件で有名になりました。なぜか橋までお縄に・・・
元々は江戸時代に橋の南に住んでいた大坂屋太左衛門という芝居興行主が造った橋だそうですよ。

次のモダンな橋は、堂島川に架かる水晶橋 昭和4(1929)年に出来た元可動堰だというから驚きます。淀川水系の汚染対策で、一時的にこの橋を含めた複数の橋で川の流れを止め、一気に開けることで汚染水を河口まで押し流したんだそうです。海にとっては迷惑な話ですな。
私の祖父は大阪市役所に勤務していましたが、戦後の或る日、この水晶橋上で通行中に米兵にいきなり殴られたそうです。


これからは大阪の橋を、もっと気にしながら散歩してみたいな、と思っております。