「円楽 芸談 しゃれ噺」


三遊亭円楽師が亡くなられました。
闘病続きの晩年でしたが、ナマで高座を拝見することはございませんでした。
円楽一門は落語協会に属さず、寄席もお江戸両国亭でのみしか出ておられませんのでね。なかなか、お目にかかることがないのです。

若い頃にラジオ録音した「悋気の独楽」しか記憶にないのですが、面白くなかったんですよね。これが・・・その後、このブログでも紹介したことのある三遊亭円丈著「ご乱心」(円生師匠と共に断行した落語協会脱会事件を描いた名著!!)での悪役ぶりに恐れおののきまして、近寄ろうとも思ってなかったんですね。「笑点」の司会でのガハハという笑い方を見ても「あれが、星企画笑い」か、と醒めて眺めておりました。


最近になって、堀井憲一郎さんの著作で、円楽師が自ら語りながら感動して泣き出すもんだから、登場人物が全員泣いているという「浜野矩随(はまののりゆき)」の話を読んで一度見てみたかったものだなあ・・・と思ったのでした。

またまた、最近のことですが、久我山駅前の古本屋が閉店セールで80%オフだかの投売りでこの本を買い求めたのでした。


圓楽 芸談 しゃれ噺

圓楽 芸談 しゃれ噺


和田誠さんの装丁が素敵でしょ!?
定価が2,800円もする大著で、手が出なかったんですが古本で80%オフですから安いものでした。

とある記述にビックリしました。
一時はかの「笑点」の録画もしたという東陽町に建てた一門のための寄席「若竹」・・・。
その借金返済のために円楽師が選んだ手段というのが全国の「講演会」に出ることでした。「落語」ではなく「講演会」の方が儲かると・・・。お題はなんと「戦争と平和
なんじゃそら!!

ご自身にとっても一番いい時に「講演会」一本槍で、『ほんとに馬鹿なことをした、つまらぬ意地を張ったもんだと思いますよ。だって、結局不入り続きで四年後には〔若竹〕を閉鎖することになったんですから。』と悔やまれておられますし、
更に、弟子に教えてやれることが出来なかったと悔やまれているんですね。
『また、私が講演で忙しいですからね、弟子にもなかなか教えられない。たまに教えたくらいじゃ、良くなるもんじゃない。(中略)おかげで永六輔さんが見に来たんですが、すぐにすっと帰っちゃった。帰るはずですよ。面白くないんですから。(中略)弟子には「ああ、悪いことしたなあ」と思いましたよ』
と告白されています。

余りにも率直な告白で恐れ入りますが・・・お弟子さん達はたまったもんじゃないですよね。


ここにきて、よやく若手の兼好さんや王楽さんが注目されだしてはいますが、彼らが頑張ることが何よりなんでしょうねえ。合掌。